エロ漫画作家なぱたについて

最近いろんなエロ漫画を読み比べ、なぱたという人物が描く作品の独特な魅力について思うことがある。彼の描くセックスは典型的な「んほぉ♡アクメアクメ!中だしきもちい!!さいこう!おちんぽすき!だいすきいいいい!!!!!」のようなよくある表現でなく、より静かな現実感がある。この現実感の正体について考察してみようと思う。
 彼の作品たちの特徴として強姦モノや痴漢モノといった女性が被害者になるようなジャンルではなく、いわゆる「イチャラブ」と言われる男女が恋人などの愛し合っている関係にあり、彼彼女らのセックスを通じたコミュニケーションを官能的に描いたジャンルに含まれるものが多い。今日の日本において行われるセックスの内訳は合意の上で愛があるものと、強姦のどちらが多いだろうか。答えは自明である。その傾向も彼が追い求めるリアリティが生んだものなのだ。
 また、登場人物たちの設定としては教師と生徒とか異世界転生とか現実離れしたいるものがあるものの、基本的に(元)恋人、幼馴染、セフレ、夫婦といたって普通の男女二人組だ。また、兄弟の肉体関係が多く出てくるが、義理という設定を使い、家庭内での性交を現実的なものにする努力が見える。
 しかし、いくら設定が恋人であろうと、不自然なセックスは可能になってしまう。エロ漫画によくあるレイプなのに女が感じまくって好きになっちゃうとかキモオタとクラスのマドンナがよくわからんけどセフレとか童貞と処女同士なのに片方がムラついたら次のページではパイズリフェラしてるみたいな「不自然感」というのはいくらでも起こりうるものなのだ。
 しかし彼はその違和感を前述の現実離れした設定の中でさえ読者に感じさせない。その理由は登場人物の「心の動き」が非常にリアルだからだ。人間とセックスするのは人間なので「恥ずかしい」とか「かわいそう」みたいな倫理を持ち合わせている。そういうことを考えれば当然だが強姦や会って5秒で挿入なんてことはあり得ないはずなのだが、エロ本とはどうしても男子の欲望が詰めこまれるものなのだ。しかし、彼はそれを見事にコントロールしている。
 その精神は作品のジャンルや設定だけでなく行為中の描写にも見て取れる。彼の作品では男が一晩に何回も射精することはないし、喘ぎ声が80デシベルを超えない。「苦しそうだから」なんて理由で手コキをしないし、明らかに他人にバレるところ(休み時間の学校とか)で中出しとかしないしそもそも学生は容易に中出ししない。彼だって多分キモオタなのだろうから学校の休み時間にクラスのマドンナに20回中出しして電車が通るときのガードの下くらいの音量で喘がせたかっただろうが、それを抑え、あくまでリアルに忠実なエロを追及しているのが、彼の作品が多くの男子の心をつかんで離さない秘訣であろう。
 彼のような現実的で清楚な作品では満足できないというエロ男児は確かに多く存在するだろうが、私はなぱたの作品が大好きだ。このあたりで筆をおかせてもらう。